ひま太郎物語

山と食と文化を巡って旅をします

田歌舎さんにて狩猟解体体験やってみた~狩猟編3・完~ 〈京都・美山〉

さらに奥へ―

 猟師さんが「こっちに来るかも」と言っていた猟犬の吠える声が聞こえてきた。注意して耳を立てると、それとはまた別に、何者かがガサガサッと草の中を駆ける音も交じっている。『近いけど、まだ遠いな』と思った時、ふたつの音は私たちの左側の谷底に落ちていった。そして、2度目の銃声が後方麓から響く。あ、他の人が獲ったんだ。確かにいた、すぐそこに、鹿が。でもその姿を拝むことは叶わなかった。諦めのような、少しばかりの悔しさが胸ににじむ。

 連れて帰ろうと、さっきの犬の名前を猟師さんが呼ぶ。が、なぜか犬はくるりときびすを返して再び森の中へ消えていった。とりあえず、猟師さんは私たちにも状況がわかるように無線の音声を垂れ流しながらGPSを確認していると、消えた犬がまたさっきと同じ独特な走り方をしているのが見えた。まさか、もう一頭追っている・・・?そして、またこっちに向かってきているような。

 そうなれば、と慌てて無線の音声をイヤフォンに戻し、私たちが危なくないように、鹿に見つからないように、言われた通りの場所で言われた通り息をひそめる。不意を突かれたのと、裏切られたばかりの淡い期待に再びちらりと火がついて、私の胸は高鳴っている。全員が、少しの身じろぎもせず、ただじっと犬の鳴き声と鹿の足音に集中していた。

『あ!いる!』

ドーン、ドーン、ドーン。

 黒く光る瞳が私たちの方を映した、なんて綺麗なんだ、と心つかまれた瞬間、3発の銃声が空を切り裂いた。シカは1発目、こっちに気づいて、でも自分の身に何が起こったのかわからないような表情をした。2発目、『!』と尻尾を上げて、駆け出し、同時に3発目が放たれた。

 『撃った!』追わねば。皆興奮気味に鹿が駆けていった左の谷の方へ走り寄る。もう鹿の姿は見えない。なかなかそれらしい跡が見つからず、ぽつりと「全部当たってると思うんだけど。特に2発3発目は確実に。」と猟師さんがつぶやく。当たったかどうかってわかるもんなのか、と感心しながら目線を下に巡らせていると、落ち葉の上に鮮血がまだ瑞々しく落ちているのが目に飛び込んできた。「あっ、見つけた!」

 そこからは、どんどんひどくなっていく出血の痕跡を追って崖のような山肌をつたい降りていった。さすがに危なくて、思うように進めない。10メートルほど前で先陣を切っていた猟師さんが、ついに仕留めた鹿を発見した。ここからでは姿を確認できるくらいにしか見えないけれど、鹿は力尽きて転がり落ちて、谷の中腹で息絶えているようだった。慣れている猟師さんだけが鹿のそばまで降りていく。鹿を前に、合掌を捧げる。恵みに対する感謝か、弔いか、はたまたこれから行うことの始まりの儀式のようなものか。

 鹿を見つけたのは良いものの、メスとはいえかなり重たそうだ。それを持ち運んでの崖登りは厳しい。それに、もうじき日が暮れる。とりあえず、無線で仲間の猟師さんに来てもらい、私たちはその人に連れて帰ってもらうことになった。一人残った猟師さんは、鹿の内臓の処理を行い、どうにかして田歌舎まで持ち帰るようだ(詳しくはわからない)。

 予定より1時間半ほど過ぎて、全身泥だらけで田歌舎まで戻ってきた。今回だけで3頭もの鹿が獲れ、田歌舎でもスタッフの方々がせわしなく動いていた。猟犬が、猟師の使い手のようなものではなく、対等な、そしてとても重要な「仕事のパートナー」であることもわかった。野生のシカを見るのも初めてで、その美しさに見惚れた次の瞬間にはその鹿は撃たれていた。すごい、これが食べるっていう事なんだ、と興奮冷めやらぬ変にふわふわとした気持ちだった。

 

 私は動物が好きだ、自然が好きだ、いのちが好きだ。山に入ったり海に潜ったりすると、いつも思うことがある。木になりたい、水になりたい、鳥になりたい、蝶になりたい、魚になりたい、わたしもそっちに行きたい。この聖なる域の生きとし生ける者たちのように、その循環の中でわたしのいのちも輝かせたい。森や海の心地よいリズムに自分の鼓動がだんだんと混ざり合う感覚の中で、そんな風に恋焦がれては、食物連鎖からはじき出された人類の私はどこか寂しくなってしまう。でも、今日は、少し近づけたような気がする。鹿に、山の神域に、いのちの循環に。私は銃を触ったこともないけれど、もし、私が猟師だったら…鹿を撃つ時、鹿は自分自身なんじゃないか、なんてことを思った。