ひま太郎物語

山と食と文化を巡って旅をします

田歌舎さんにて狩猟解体体験やってみた~解体編~ 〈京都・美山〉

鹿の解体をありのままに書いています。苦手な方は読まないようご注意ください。

 京都府南丹市美山町に、田歌舎(たうたしゃ)という【宿泊・レストラン・自然体験】を提供しているお店があります。そこでは従業員の皆さんが、循環型の暮らしを目指して農業・狩猟・牧畜・採集・建築など自給的な暮らしを営んでおられます。

今回は友人の勧めで、鹿解体 / 狩猟MIX体験【1~4名様まで】¥44,000【5名以上】¥11,000/1名(公式ホームページより)に参加させていただきました。

参考:田歌舎|京都美山の自給自足の宿泊・レストラン・アウトドアツアーのお店

 

「これレバー。で、こっちが腎臓。」

ぱっくりと切られたお腹から内臓を引きずり出していく。今回指導していただく猟師さんが、私の両手分くらいの大きさのレバーを、横たわった鹿の上にべちゃっと置いて腎臓を手に取る。

「わ、ほんとだ腎臓だー…」

理科の教科書で見た模式図と同じ形をした腎臓が、なにやら白い塊と一緒に出てきた。

「腎臓の周りについている、僕が右手で持っているこれが内臓脂で、これがこんだけあったら結構個体としては悪くない、結構いい方だね」

私達が解体するように用意された雌鹿は、2日前仕留められたもので、少し小ぶりだが状態のいい鹿らしい。鹿は仕留めたら、消化器系の胃と腸をすぐに切り取ってその場で捨てる。捨てられた胃と腸はカラスと鷹の餌になる。その後、ここ京都府南丹市美山町にある「田歌舎(たうたしゃ)」に持って帰り、浴槽くらいの大きさのバケツに水を張って、体内の血を洗い流し冷やしておく。

 

私たちは田歌舎に着いてすぐ、「解体所」と民族チックな字体で書かれた小さな木造の倉庫へ向かった。入り口の外で直腸、レバー、腎臓、肺、心臓を取り除いたら、肛門にホースを入れて、切られたお腹から糞を洗い出す。それが終わると、鹿をずるずると倉庫の中に運び入れる。死後硬直した鹿はぐにゃぐにゃしてないから、後ろ足二本掴むと運びやすい。ちなみに、レバーと心臓はきれいに洗って人間たちで食べる。美味しいらしい。そのほかの肺とか雑肉は、もちろん人間も食べられないことはないがそんなに美味しくもないらしく、猟犬のご褒美になるのだそうだ。

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田歌舎の解体所。青いバケツの中に鹿が入れられている。

 

 倉庫内に入ると、滑車につながれた鎖が天井から降りてきている。そこに、鹿の後ろ足を一本、足首のところに紐をくくりつけて滑車でぷらーんと逆さ吊り状態にする。

いざ、解体開始。

 

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解体では、小刀を2種類用いる。毛皮を剥ぐ用の反り返ったナイフと、肉の解体に使う小型の包丁だ。最初の工程は毛皮剥ぎ。足首にぐるっと一周刃を入れる。足首に肉はほとんどついていないから、鹿の足を手で握って引き下ろすと骨がすぐ下に見える。それが終わると、お腹の切れ目から足首のところまでスーッと一直線に切れ目を入れる。その切れ目から、少しずつ肉と切り離していくのだが、皮と肉の間には筋膜という透明な膜が張ってあって、それをショリショリと包丁を当てるのが実に気持ちいい。「ASMRやん!!」と私たち女4人はテンションぶち上がり。両足ともお尻のところまで毛皮を分離させたら、がしっと毛皮を掴み力を込めて背中まで引っ張り下ろす。すると、背中の皮の内側にエキゾチックで不思議な模様が浮き出ているのが見える。「日常的にこういうのを見ている文化圏だと、確かに土器やアクセサリーに模様彫りたくなっちゃうよな」「自分が解体されるのを想像したらなんかちょっと恥ずかしくない?皮下脂肪めっちゃついてるやんとか思われたりさ(笑)」「わかる。」なんて言いながら、その見事な肉と脂肪の跡に感心してしまった。

前足も同じように皮を剥いで、ショリショリショリショリ、地道に首まで筋膜を削ぎ続けること約一時間。これでもややこしいところは猟師さんが手を入れてくれたから、「細かいところまで教えると解体だけで一日終わるよ」と言われたのも納得だ。

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反り返った刀で筋膜をはがしている。

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背骨の跡。背中に薄く肉がついているためこのような模様が出る。

さっきまで鹿だったのが、皮を剥いだらもう肉にしか見えなくなっている。肉の表面に付いてしまった毛をみんなで寄ってたかって一本一本取り除いたら、いよいよ肉の分解。吊ってある足を除いて、他3本の足を、人間で言うところの膝のような(厳密に言うと膝ではないが)関節のところでねじり取る。ちらっとお腹の中をのぞくと、足の付け根に近いところに、卵巣と子宮が見えた。思ったよりも子宮ってちっちゃい。5センチもないかもしれない。

お尻の穴から刃を入れて、すねとももを一緒に切り取る。生ハムの原木みたいな形になった。ようやくお肉を切り出せた喜びと、その枝肉のビジュアルの良さから興奮気味に写真を撮りまくった。次に前足を切り取る。前足が取れたら、背中の肉。いわゆるロースだ。「焼肉屋ででてくるやつやん!!」思わず歓喜の声を上げてしまう。

それを取ったら、残るはあばら肉(バラ)。骨付きリブとも言う。ちなみにハラミというのは横隔膜の部分を言い、一頭から取れる量は案外少ない(横隔膜は猟師さんが取ってくれた)。バラは、あばらとあばらの間の肉を一つずつ切り取る作業で、言ってしまえば面倒くさい(がしかしそれが楽しい…!)。

 

さて、これで解体終了!と思いきや、猟師さんが今度は顎を切り開いた。タンだ。「食べることが供養なら、できる限り食べたいよね。僕たちは最近では脳も食べています」という言葉に深く共感するとともに、脳も是非一度食べてみたいと思った。

 

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バラ肉切り取り作業。

 

 

 鹿の生き血の匂いを体中に染みこませ、自らの手で「死んだ生き物」から「肉」にした。ここに来るまでは、精神的ダメージが大きいと色々と考えすぎてしまうだろうな、耐えられるかしら…と思考を張り巡らせていた。しかし、事は意外にシンプルなものだった。当たり前に、肉は生き物そのもので、そして命そのものだ。「鹿がかわいそう」と思うなら、肉を食べる権利はどこにあるのだろう、と私は思う(個人の見解です)。肉の処理の文化的な「穢れ」についても、いざ自分がやってみれば、穢れって一体なんなんだ?と拍子抜けするくらいだ。少なくとも、私は自分が生きるために、この手で他の生き物を肉にできるということ、そしてその工程の一部始終を経験として獲得できたことを素直に喜ばしく思う。

約2時間に及ぶ鹿の解体作業を終え、その間ずっと肉と対峙していた私たちの空腹は、もう限界を迎えている。田歌舎の方が用意してくれた、ご飯と鹿肉のコロッケとサラダとお味噌汁。

―「いただきます。」感謝を込めて。

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鹿肉は低カロリー高たんぱく。げんこつのようなコロッケでもぺろっと食べられる。